昼の世界への 「サイエンズ」(2)

心の存在、その重大さを実感していても、法制度やルール・マナー等で「言動」を正そうとしている。或いは、教えたり諭したり躾けたりして「意識や欲求や情感」を正そうとしている。いずれも、現象面への対応ばかりで、心そのものには届かない。
こうなる原因は・・・、
心についての解明が浅く、心の成り立ちを把握していないからだと思う。
「人の言動」というものは、その人に現われた表層の一時的現象だと思うが、そこの認識・捉え方が、おそらく大きく違うのだろう。

思い・考え・意志・感情・欲求・気持ち・・・などを「人の内面」と捉えていることが多いと思う。それらは、内面の現われの部分であって、一時的現象だと思う。

例えば、肉体は栄養を摂取して、健康に生きようとする作用があると思うが、健康にそぐわないものを摂取すれば、当然、不健康になる。
心も同じようなことが言えるだろう。人間らしく健全な心に育とうとする作用は誰の中にもあると思うが、健全な心にそぐわないものを周囲から受けると、当然、不健全な心の状態となるだろう。
このことをよく理解すると・・・、言動や精神状態を捉えて、
「間違ってる」「邪悪だ」といって、その人を責めたり罰したりするのは、お門違いということがが分かるだろう。これは、対人関係のみならず・・・、
「どこそこの国が核実験をした、条約に違反した・・・」というのも同様で、
先ず、そういう行為に至った内面の成り立ちや原因を知ろうとすることだと思う。

先ず、その人の心が、どのような状態であるか。
そのような心が形成されるまでの成り立ち。
そして、その人の心がより良く育つには、どのような要素が必要か。
それを実現するための方法の考案。


日常の思考回路、何に重点をおいているか・・・が焦点になると思う。 つづく
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