「知る」 ためのもの・・・

いつの頃からだろう、研究所のメンバーで、あれやこれやと話し合ってるうちに・・・、
思ったり考えたりしているのは、全部が植えつけられた観念の中でやってることなんだなー。
ほんなら、これが正しいだの、あれはおかしいだの、やるよりも、その前に・・・、
自分には、どんな観念や感覚があるのか・・・、身についた見方、捉え方、思い方、感じ方などはどんなか・・・、自分のことを先ず知らないとねぇ。
外ばかり見て、とやかく言ってるのも、元暗し・・・というか、お粗末だな、恥ずかしいよな。
・・・という訳で、そんなところから「自分を知るためのコース」が誕生した。

「自分を知る」というのをやっていくと、それは、自分の存在、自分の成り立ちを「知る」ということで・・・、そうすると、人として生きて存在している自分を知るという辺りになってくる。
じゃあ、人が生きている、人として生きている、ということは、どういうことなんだ。
人とはなんだ、人の一生とはなんだ、人は生きて何するんだ・・・、と。
そんなこんなで、「人生を知るためのコース」というものができてきた。

人とはどういうものか、人生を検べようとすると、どうしても、人と人の中に人生がある、個の人生だけを取り出すことはできない。取り出したとしても、それは人と人の間にあるもの。人生とはそういうものではないか。自分のこと、人のことを知ろうとすればする程、社会の要素が大きくなってくる。
自分を知る、人を知る、人生を知る、には人と人で成す社会を知るということが不可欠な要素として浮かび上がってくる。
社会ってなんだ。「社会を知るためのコース」へ・・・。
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