人を学んで・・・

「人を学ぶ」ということに焦点が当たり始めたのは、ホントここ数年という感じなんで、
鈴鹿に来てからのこと。遅すぎるといえば遅いよね。

それまでは、あり方とか考え方とか、いわゆる「人の道」みたいなことで、人間の幸福について けんさんしているつもりでいたんだろうな。
「ここへ来てからの試み」を経て、こんなことやってて、願っていること 本当に実質的に、
「実現できるんかいな?」
という思いに駆られて・・・。
そうすると、盛り上がり的な活気や、考え方からの意欲や熱意だけで、実現できる訳がない、
ということがハッキリしてきて・・・。
やはり、実質的に人が進んで、人の幸福が実現しなかったら・・・、
という風に焦点が定まって来て・・・。
そうなると、あり方や考え方がハッキリして熱意や意欲があったって、生身の人間のやることだから、そんな頭の中で意識していることは一部分で、もっとその人そのものを動かしている大きなものに焦点を当てるという線が観えてきた。
あり方や考え方に 人が合わせようとするのは、ダメだな。

生身の人間をよく知って、どうしたら、そこから、その人の目的や願っていることが実現していけるのか、そこをやろうという体勢に入った。


こういうことを、文字や言葉にすると、当たり前のように聞こえるけど・・・、
どんな、思想でも宗教でも、まず、「あり方ありき」で、それをやろうとしていると思う。
やろうとしている生身の人間をよく知る、よく検べる、ナンテやってないと思う。科学者でも・・・。
「人を学ぶ」というのは、一般論じゃなくてね。その人、その人、ひとりひとり、だね。
学校の先生もお医者さんも「人」という一般論で、人をまとめて見ていないかな?
ひとりひとりをよく見ているのかな?見ているとしても、「人」の何をみているのかな?
「人を学ぶ」ということは、「自分を学ぶ」ことでもあるしね。
生身の自分をよく見るということからかな。
気負ったり、力んだり、我慢や辛抱やカッコつけたりしない生身の自分ね。
そういう気楽な自分から、「人を学ぶ」がスタートしたような気がする。
つづく
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