(研究所サロン 2.23) 発表内容の骨子

調べる・科学する
人とはどういうものか、社会とはどういうものか、を純粋客観で調べようとする。「本当はどうか」「事実・実際はどうか」
問題・間違いがあるから調べる ⇒ 問題・間違いと思うものがなくなれば調べない ⇒ 調べるということをそう捉えている ⇒ いつまでたっても、そのものを科学するが始まらない
解消したと思えたら(良くなれば)、良いとする・・・自己盲信・宗教・覚せい剤・幸福感
悩み・苦しみ・争い・間違い・問題を前提にした人間学・社会学は、科学とは言えない。
宇宙科学・物質科学・・・宇宙や物質に問題があるから科学する訳ではないだろう。
人や社会に対する問題視(主観)を持っていては、科学する は始まらない。


欲求 ~ 意志 ~ 感情 などについて
脳の働きによって現われるものだが、周囲・環境から受けたものによって形成された観念の影響が大きい。
目標・やりがい・生きがいを持って、
やりたい(欲求)、やろう(意志)、やった・やれた喜び・満足(感情)
こんな仕事をやりたい、掲げた目標をやろう、願いが叶って嬉しい
欲求~~感情などは自分の中から出る自然なものと見てしまいがち。
殆どが周囲から受けた(植え付けられた)観念によるもの。
他の人が嫌がるような欲求・意志・感情という場合もあるだろうが、
その人そのものが悪い訳ではなく、受けたものによって、そのような欲求・意志・感情が湧く観念になっているのだろう。
良い大学に入りたい、競争に勝ちたい、出世したい、音楽家になりたい、お金持ちになりたい、人を倒したい、死にたい・・・・
その人そのものの欲求と云えるだろうか? 意志や感情についても・・・。


調教された動物
人間の指示で動くサーカスの動物・介助犬・警察犬など 自身の意志からの行動とは云えないだろう。
人間の指示通りに動くのを「賢い」とか「偉い」と見る。
よく躾けられた子供がおとなの言うことをよく聞くのを「賢い」とか「偉い」と見る。子供自身の意志からの行動と云えるだろうか。
法を忠実に守って、真面目によく働く人を「良い人」「立派な人」と見る。
「アメとムチで芸をしこまれた動物」に似ている
規則・賞罰・評価・金銭・報酬・道徳などで動く人間、いやいやではなく積極的にこれらを使いこなして生きている。「よく調教された人間」
自分で考えて自分の意志で動いているつもり。
決められたことをやれない動物・人よりも、決められた通りにやる動物・人を「賢い」とか「偉い」と見る・・・今の世の中の人間観


やらせる・やめさせる
野生の動物や人間の赤ちゃんなど、やらせたりやめさせたりできない。
調教した動物、分別を教えた人間は、やらせたりやめさせたりできる。
やらせたりやめさせたりできるのを知能が高いと云っているのだろうか。
命令や「飴と鞭」の賞罰、規則・罰則は一方だけでは成立しない。
つまり、命令する・命令される、罰する・罰せられるという共通観念が必要。
野生動物や赤ちゃんには命令される・罰せられる観念がないから効き目がない成立しない。
やらせるやめさせるが当り前になっている今の人間界。
それができるように・・・教育制度は人間調教のようなもの。
リモートコントロールのロボットのような回路を、人間の頭の中に埋め込み、報酬・賞罰・道徳・規則・命令などで、人を操作できるように調教している。


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