豊かさ や 喜び

怒り、争い、悩み、憎しみ、闘争心、支配欲、独占欲、優越感、劣等感、・・・等々を、性(サガ)、業(ゴウ)、煩悩、などと呼んで、人間に具わったもの、あってしかるべきもの、という意見には賛成できない。

むしろ、これら(怒り、・・・・、煩悩、など)は、異常、間違い、病的、というべきで、人間本来の姿から外れたものと思う。
精神的疾患の病名みたいなものだと思う。
「こういうものは人間には付き物だ」としている限り、人類から紛争・苦悩は解消されないだろう。
やがて、精神科学や心理学が進歩すれば、これらの疾患にみな原因と療法が見付け出されるだろう。


幼い頃から植付けられた観念の蓄積によって、物や環境や人の行為など、「有って当り前」「やって当り前」になっている。また、自分の頭がそうなっている自覚もない。
生活には不可欠と思うような、電気・ガス・水道・ゴミや排水の処理・道路整備などなど、ずいぶん人も物もかけて用意されている。それらも、有って当り前、うまく行っていて当り前。思い通り行かない時の不満は大きい。

安心・満足を欲していながら、不安・心配・不平・不満がある。
そとに原因を置いているから、不安や不満があるのを異常とも病的とも思わない。むしろ、この状況だから、不安や不満は当然としている。
娯楽番組に浸り、美食で腹を膨らし、酒をあおりつつも、不平や悩みが絶えない。充分な食もなく、教育も受けられない地域の人々とどちらが悩みや不平が多いか比べてみれば分かる。物や教育では不安や不満は無くならない。

不平・不満なく楽しく満足そうにしていても、それは一時的なもので、思い通りになっている状況でのこと。思い通りに行かないと不平・不満が出る。「安心や満足は自分の思いを満たすこと」のように思っている。いつもいつも一時的な満足感を追いかけている。

多くの物や環境や人の行為の中で暮らしていても、殆どが「当り前」で、それ以上のものを得て満足しようとする。得られないと不満となる。


今以上に得られなくとも、今以下になっても、物は無くならないし、無数の人の行為の恩恵を受けている。

人は生まれながらにして、衣食住に恵まれ、周囲からの愛情を受け、安心・満足の内に人生が始まる。そして、精神的に、肉体的に、膨大な物や人の行為を受けて成長していく。
周囲から齎されて受けたものがギッシリ詰まった恩恵の塊のような一人一人。
子どもの頃の嬉々として遊び戯れる喜びから、青年期の血気盛んな躍動する喜び、知性を培い人生の豊かさを知り、人生を重ねる程にその人間的豊かさ生きる喜びは、果てなく増すばかり。

「豊かさ や 喜び」は自分の思いに振り回されて追い求めるものではないと思う。
豊かさ や 喜び はどこにあるか。
人 間 観 | - | -