初心

困っている人がいたら、手助けする人がいたらいいと思う。
相談したい人がいたら、相談にのる人がいたらいいと思う。

しかし、その人の頭の中で、手助けするのが当然、相談にのるのが当然、となるとどうなるか・・・。

物でも人の行為でも、最初はその価値を感じる。
見慣れて当然になる。価値を感じなくなる。
有るものがありまま見えるのと、有って当り前となっているのとの違い。

自分を知らない、その物を見ようとしない自分を知らない。
例えば、お金を払ってるからガスや電気も使えていると思っている。
お金を払ったくらいで、ガスや電気がくる訳がない。
有って当り前となっているものが無くなったり少なくなったりすると、おのずと不平・不満が出る。さびしくなる。

自分を知らない。高いところに居座っている自分を知らない。
自覚がないという観念・心の状態は生活の全てに現われている。
物の扱い、人の行為、対人的こころ・・・・。

有って当り前、やって当り前。・・・・・・無自覚
      ↓
物や人の行為が見えない。見ようとしない人間性。人格。
      ↓
物や人の行為を無にする。生かせない。   資格がない。

人間が人間性を発揮して、人間らしく生き、他からの力や決め事や観念で人を動かすのではなく、一人一人の知性ある自覚からの行動によって、保ち合いで成立する社会には、この要素が不可欠と思う。

今の人間社会は、アメとムチで人を動かす社会だから、自覚も人格も資格も要らない・・・?

そういう社会は、おさらばして、人間本来の姿 それに適った人間社会を実践して実証したい。
人 間 観 | - | -