こころのせかい

自覚しないくらいに当然になってるのかもしれないけど、
なぜ人と人が、こんなにもよそよそしいのだろうか?
身内というか、近しい、親しい、心ゆるせる、心底うち溶けられる人は、何人いるだろうか?
何億もの人がいるのに、ホントに近しい人は数人しかいないという人が多いのではないだろうか? 今の日本には、もしかすると一人もいないという寂しい人がいるかもしれない。

生まれてから、このかた、よそよそしい人間関係を教え込まれて来たと思う。「家族以外は他人ですよ。」「他人と親しくするものではありません。」「親しくしてはいけません。」だまされないように、負けないように、損をしないように、警戒心・不信感・優劣感・勝負感などを植え付けられて来た。

このような、教え込み・植え付けの被害の薄い人は幸いな人で、比較的、「心の世界」が侵されていないと思う。
安心の人の中で、安心して育つと、わが身を執拗に守ろうとする「我」も身に着ける要がない。疑いや不信感なく誰のどんなことでも受け入れられる。その人の中に、拒み対抗する芽がないから周囲にあっても育たない。

「聞く」とか「持たない」とか「一体」というのは「心の世界」のことで、なんでもない人と、とても難事な人とある。これは生まれや育ちや体験などの違いで、やむを得ないと思う。

「聞ける心の世界」「持たなくていい心の世界」「溶け合って境のない心の世界」を知って、そこに帰還しようとするものです。

本当の人間世界の素晴らしさを実現・実感・実証しようとするものです。
人 間 観 | - | -