1.心が落ち着いていること。平静であること。

[環境の要素]
人間の理知的能力を育て伸ばすには、心が落ち着いて平静、平穏であることが必要となる。なぜなら理知的能力には、精神面、感情面が大きく影響するからである。不安、恐怖、怒り、イライラ、嫌悪、有頂天、嫉妬、優越感、劣等感、不足感、渇望、執着....。これらの言葉で表現されるような、心が落ち着かない状況では、いくら現実や真実に焦点を当て理知的能力を働かせようとしても、集中できない。環境要素にその原因がある場合も多く、そのような原因はできる限り除去する。

人間の心は、環境中の様々な物事に連動するように反応している。心の反応は、浮かんでは消える変化を繰り返している。意識にのぼるものもあるが、気づかぬまま消えていく反応も多い。また意識されてもすぐに消えるもの、長く残るものもある。心が落ち着かなくなるのは、意識に強く長く残る反応によるものが多いようだ。あまりに強烈で不快な反応であるため、逆に無意識の中へ深く押し込めてしまう場合もあり、それが何かのきっかけで抑えきれず噴出し、心とからだに異常を来たすこともある。

心が平静でいられなくなるような反応を引き起こす環境要因がある場合は、できる限り原因を除去し環境を改善する。例えば、意思を侵される、束縛される、無理に押し付けられる、甘い誘惑、おだて、多量過激な情報、貧困、争い、競争、身体的苦痛....など。このような心を刺激する環境要素がはじめからなければ、いらぬ反応をしないで済むとも言える。極端な例だが、どんな理由があろうとも戦争など人と人とが争い殺し合っていては、平穏な心の状態でいるのは不可能に近い。しかしそれに近い体験ができるゲームソフトが開発されていて、子どもが家庭で夢中になって遊んでいたりする。面白がってやっているように見えるが、子どもの心はどのような状態であるか?理知的能力の未熟な子どもは、環境との反応で心が形成される要素が大きい。会社等で規則が多いと集団管理はしやすいかもしれないが、束縛感から働く人の心が落ち着かない状態になっているとしたら、本当にいい仕事はできるのだろうか?また競争心をあおったりノルマを課して能力を発揮させる方式は、業務成績の向上に一時的効果が出るかもしれないが、働く人の心は消耗していくのではないか。

またやることが多すぎると頭が忙しくなり、時間的にも現実や自分の心を観察する余裕がなくなる。一人の人が生きていくには、仕事のこと、家事のこと、家族のこと、家計のこと、結婚のこと、車のこと、家のこと....その時々でいろいろなことを考える必要が出てくる。専門的な知識が必要になることも多い。それを各人が別々に対応していかなければならない状況では、頭が忙しいし時間もなく適切な対応ができない。例えば子育て一つとっても、子どものこと、親自身のこと、住まい環境のこと、経済的なことなど、実際は総合的に検討する必要が出てくる。もしひとりひとりの人生を総合的にサポートするコンサルティング組織があったらどうだろう。そこで各専門のアドバイザーと共に検討できたら迷いや不安が軽減され、心に余裕が生まれるのではないだろうか。各個人の社会生活や人生について適切に検討・調整できる機能をもつ機関や活動組織、産業形態(アズワン活動{注1}など)も考えられるだろう。協力し合う社会組織形態の中での心の安定、安心の実現である。

人はあらゆることに関連して存在しているので、一人だけで生きようとすると心に無理がかかるのは当然だろう。理知的能力や心も個人単位で分離されたものでなく、相互作用を及ぼし合いながら機能しているのではないだろうか{注2}。だから誰かと話をする機会があるというのは、人間として知性や心を育くむ大切な要素である。思ったこと、気にかかることなどを誰か他の人に気軽に話すことができる環境にいること。さらに話すだけでなく、いっしょに考えたり調べたりできる環境があることが心に安心感をもたらす。逆にそういう機会がなく孤立した環境にいると、思いが蓄積し連想的に膨らんで妄想状態に陥ったりする。未検討のままの思いはやがて頑固な思い込みになっていく場合も多い。仕事や家庭の事情で生活環境の変化はあるだろうが、けっして一人ぼっちにならないようにすること。例えば、検討機会{注3}などに定期的に参加し、日ごろの自分の思いや考えを何でも出し合いながら、本当はどうなのだろうと調べ合うことは、検討内容以上に各人の心の落ち着きに大きな効果を及ぼすと考えられる。また人によっては、トラウマやPTSDのように専門的治療が必要な状態にある場合もあるので、各人の状態や段階に合った適切な話し合う機会が、全員もれなくあることは環境要素として重要である。各個人の意思だけでなく、社会の仕組みとしても孤立した人が出ないよう補っていく必要があるだろう。例えば会社や活動組織の中に人事部を設け、仕事や運営ではなく、各人のからだと心の健康や生活について客観的に焦点を当てる専門員を置くなど方法はいろいろ考案できる。

[行為の要素]
個人の意思で、心が落ち着かなくなるような行為をしないということも考えられる。例えば、うそをつかない、人の悪口陰口を言わない、だまさない、侵さない、好奇心からやたらと顔をつっこまない、泥酔しないなど。○○は悪いことだからしてはいけないというような道徳的、戒律的なものでなく、心を落ち着かせなくする反応はあえて起こさないようにするということ。欲求や思いにまかせ、このような行為を安易に行い反応を繰り返すことで、心の反応癖がつく。結果的に思いが膨らみますます心の落ち着きがなくなる。例えば○○さんのことが嫌いだからとつい悪口を言ってしまうことで、ますます嫌いに思うようになる。会うことも避けるようになり、実像とかけ離れた嫌悪感が膨らんでいくとか。人間の行動や言動の基には心がある。からだや言葉の行為をするということは、心の行為をするということで、心に与える影響は大きい。そのことを知らず、安易な行為をすることで思いや感情を肥大化させ、自分で自分の心の平穏を妨げていることも多い。

[心の反応の観察と自覚]
心はいろいろなことに反応する。あくまでも心の反応であることの自覚。対象に対して自分が反応しているということ。そこに気づかないと、思いの世界にさまよい、現実や真実に焦点を合わせることができない。心の反応を現実のものと思い違いすること自体、認識に間違いがあり正常ではない。現実から離れ、真実から外れることで無理が生じ、不満、不安などが自分を苦しめて、心が落ち着かなくなる。健康な状態とは言えない。

[思いの中ではなく現実に生きること]
様々な反応を示す自分の心を観察し、心の反応であることを自覚して、まずは現実の自分自身に意識をとどめること。心がどんなに暴れても、自分の心が反応しているのであって、自分は今ここで現実に生きていること気づく。思いの世界にとらわれないで、現実の自分を見つめること。真実も現実も、過去の思い出にはなく、未来の希望や憶測にもなく、今この瞬間にしかないのだから。真理に即応するとは、今ここですること。生きるとはその流れるような連続である。だから現実の自分に意識を集中させることで心の平静を保つことができる。「自分はこう思ったんだな。で、事実はどうなのだろう?」と日常の中で意識してみる方法も考えられる。

どのような方法で観察し自覚することができるようになるのだろうか?自分の心とからだを客観的に観察する理知的能力を身に付ける必要がある。理論や方法を頭で理解しただけでできることではない。知っていても実際には使いものにならない。人間の理知的能力に焦点を当てて、主題に入っていきたい。
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