迷信・誤信の形成

最近『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』(T.ギロビッチ著 新曜社)という本を読んだことをキッカケに、迷信・誤信の形成について、ちょっと関心が出てきている。

この本は、「真偽の確かでない誤った考えがなぜ信じられてしまうのか?」というのを解明することを目的に書かれたものらしい。

今の社会を見渡してみると、思い込みで物事を見る,見たいものが見えてしまう、噂さを簡単に信じる、根拠の確立しない健康法や薬や化粧品を信じてしまう,効果絶大(?)なセミナーに嵌り込む、超常現象を信じ込む、みなも自分に賛成であると思い込む・・・そんな人がたくさんいるようだ。
サイエンズを志すという人の中にも、そういう要素がないだろうか・・・???

どうも、人間は誤りやすく信じやすいようだ。
信じる元は、人間の考えについての認識=自覚がないところからくるものなのだろうが、そういう次元とは別に、人間の認知・思考・推論の過程にも様々な誤解が生じる可能性が存在しているようだ。
例えば、
・前後関係と因果関係を取り違える。
・何もないところに何かを見る(例:ランダムデータに規則性を見い出してしまう)。
・わずかなことからすべてを決める(例:仮説に合う情報だけを探そうとしてしまう)。
・思い込みでものごとを決める(=期待や予想、先入観が新しい情報を解釈する際に影響を与える)。
・自分が信じたいと望むことがらを、実際に信じてしまう。
・良い話をしたいという欲求や要求が、他人に伝える情報の正確さを歪めてしまう。
・社会的承認を過大視してしまう(自分自身と同じ考えを他人が持っていると過大視してしまう。)
等々が挙げられるのだろう。

そのような人間が陥りやすい誤解とその背景構造を知ることで、人間の認知・思考・推論の習性・特徴についての理解が深まり、また、実際の自分がどのように物事を捉え、思考し、推論しているのかを観察し自覚することと相俟って、日常生活に於いて、科学的に、正しく考えることが出来るようになっていくのではないだろうか。

上記の人間の認知・推論・思考の過程についの習性・特徴について、折りを見て、もう少し詳細に検討していきたいと思う。
迷信・誤信についての考察 | - | -