⑤観点というもの

 観点ということで思いつくまま書いてきて、改めて内観法に用意されている三つの観点(①世話になったこと②して返したこと③迷惑かけたこと)も、自分を観て検べるための手がかりだと言うことはできるにしても、三つの観点に含まれる内容というか、三つの観点で自分を観て検べることで内観者に齎される気付きや洞察には、何か計り知れないものがあるように思う。

 身近な人に対しての自分を年代を区切って、①の観点で検べ、次に②の観点で検べ、さらに③の観点で検べるというように順に観点を変えて観るわけだが、この三つの観点ごとの個別の気付きが内観者の中で起こるのではなく、この三つの観点(で検べること)が組み合わさって、身近な人に対する自分というものが浮かび上がってくる。深い浅いはあるにしても、自分という存在の生い立ちや成り立ちに対する何かしらの気付きや洞察がなされる。

 小学生にも分かりやすい観点(テーマ)だ。この三つの観点は、ごくありふれた常識的な言葉で表現されているが、この三つの観点で自分を観て検べることにより内観者に齎されるものは、とても大きなもののような気がする。三つの観点は、内観法の創始者吉本伊信氏ならではの想像力・創造力の産物というほかない。

 しかし、内観法の狙うところは、何がしかの気付きや洞察というものでもないように思う。吉本伊信氏の言を借りれば「どんな境遇にあっても、幸福に生きることが出来る心境になること」だ。内観法の三つの観点は、人の心境(心の状態)や境地を主眼として考案されたものだということは、忘れてはならない。

 内観コースの中で用いられる観点も、自分を観て検べるための手がかりであると言えるにしても、ある意味それも表面のことで、あくまでその人の心境(心の状態)が主眼であるならば、その人の幸福な心境への手がかりとして設定されなければならない。 
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