①洞察ということ

 <洞察>という言葉は、自分でも日常的にはあまり使わない。一般的にもそれほど馴染みのある言葉でもないのだろう。でも内観に関連しては自分の中にわりと出てくる言葉だ。ある内観研修所の人が<洞察>という言葉を使いながら内観の本質を語ってくれたのを思い出す。

 広辞苑には「洞察ーよく見通すこと。見抜くこと。(例)事の本質を洞察する。洞察力」とある。新明解国語辞典には「普通の人が見抜けない点までも、直観やすぐれた観察力で見抜くこと。」という説明がある。

 洞察力というのは人により能力差というものもあるかもしれないが、新明解の説明を見ての自分の中の連想だが、「普段の自分では見抜けない点までも、内観することで見抜くことができる、自分で気付くことができる」と言えそうだ。

 洞察ということは内観の中だけで行われるわけではないし、日常でもいろいろな出来事や人や社会(組織)を見るときに、人の中で行われることも多いのだろうが、内観の中では誰の中にも何かしらの洞察が行われると言えそうだ。
内観過程を、自分に対する観察から自分に対する洞察にいたる過程として捉えることもできるのではないか。

 自分を観察する→自分を検べる→自分を洞察する(自分のことを見抜く・自分のことに気付く) 
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