自立した社会人②

今の社会では、○○だから△△するという思考回路が染み付いている人が多いようだ。
家庭での躾や学校教育などでも、繰り返し、こういう回路で動く人間を作り出しているようにさえも見えてくる。
他動的な動機で動けるように人を訓練している社会だという感じもする。

赤信号だから停まる。
お昼だから食べる。
仕事があるからする。
こういう状況だから、やらなくっちゃ。
決まったからやる。
頼まれたからやる。
みんながやっているからやる。
訊かれたから返事する。
寒いからストーブをつける。
・・・
枚挙すればキリがないほど。
(これ等の例も、一つ一つ検討していくと、それぞれ面白いテーマが浮かび上がってくると思う)

天気予報でも、「雨は降らないでしょう」と聞いて、「降らないだろうから、傘は持っていかないようにしよう」と自分で判断しているのだろうが、意識の方では自分がそうしている自覚がなく、「天気予報で言ったから、傘は持って行かなくていい」となる思考回路。

○○だから××するという思考回路は、結果が思った通りにならないと、「天気予報では雨は降らないと言ったのに!」とか、「頼まれたからやったのに・・・」と、不平不満が出たり、相手への責任転嫁などに繋がっていくようになっているようだ。

状況がそうだからする、周囲がそうだからそうせざるを得ない、そういう回路。
周囲の状況で、自分の意思とは関係なく、動かされているような回路。
周囲の状況を”自分”がそのように捉え、”自分”の考え・意思があり、それを選択しているという自覚のない回路。

自発的自由意志⇔他発的不自由意思
自発的自由意志とはまるで正反対の意識構造になっているようだ。

このへんが解決していない人は、どうしても、「・・・で決まったから」とか、「あの人に言われたから」と、依存的に捉えて、引っかかったり、人のせいにしたり・・・となってしまうのだろう。

運営方式の考え方もあるが、このへんが解決した人がやろうとしても、「・・・で決まったことだから」と、とても自発的自由意志ではやれず、本当の自由な運営方式で考案されたものでも、不自由極まりない感じでに陥ってしまうことになるのだろう。

本当に自由な世界で生きるためには、自覚を培い、自立した人になってこそ、という道筋が、このようなテーマを探る中で、浮き上がってくる。
自立した社会人 | - | -