―― 感覚主導という自覚 ――

2005.11.01 Tue

感覚主導という自覚

自分の身に絶えず作用している気圧や重力など感じることができない。
地球の自転や公転も、地表が球面であることも感じることができない。
身近な人には自然死でも深く悲しむことがある。
遠くで多くの人が悲惨な死に方をしても、さほど悲しみがない。
自分の体内のことでさえ異状を感じないから大丈夫とはいえないもの。
そこで、「感覚」とは、「感情」とは、どういうものかとの認識が始まる。

現実を見てみると、
食べるのも、着るのも、行動するのも、是か非かを決するのも・・・、
選択判定の基準は「感覚」で、行動の原動力は「感情」か。

いつも「感覚」が最前列に居座って指揮をとっている
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