心の健康メモ11

「一体」について考えたこと。

一体経営とか一体社会とか、一体○○と付けると、どうも形、現象面に引っ張られるように思う。○○からイメージを作るからかもしれないが、例えばみんなで寄って、何でも話し合って、仲良くやっているように見えたら、一体○○とか。イメージされた現象を作ろうとする。

「我執のない者が寄った社会が一体社会であり、そういう人達によって経営されるのは一体経営だと思う。」

我執のない人になること。そういう人のやることはすべて一体○○。
そこに焦点を当てるにはどうしたらよいだろうか?

1. 我執を取ることが目的ではなく、正常・健康で幸福になることが目的で、各自が自らの正常・健康な状態について調べてみて、それを知ること。腹が立つのは当たり前か?不安になるのは当たり前か?当たり前(それが正常)としている限り、それ以上はない。
2. 正常・健康になるものを妨げているものについて調べて気づく。
3. 妨げている原因、異常や間違い(我執など)を取り除く。その方法が必要。
4. 正常・健康で幸福な状態に復帰する。
おおざっぱだけれど、各人が調べる過程で自分の我執に気づき、幸福になりたいために我執に焦点を当てていくという道程。

焦点を当て自覚したいので、また体の例で考えてみたい。
正常・健康で言うと、体についてはその人が何をするにもまず健康体であることが重要視されている。健康体であってこそ、いい仕事ができ、スポーツなどでも能力が発揮される。人間のすべての行為の基盤に体の健康があるから、医療技術も発達し、会社などでも定期検診を取り入れ人間ドックに入ったりする。

人間の正常・健康な姿を知ることで、体の面だけでなく心の面についても、個人でも社会的にも重要視され、何をするにもまず体と心の健康に焦点が当たるのではないか。
心の面でも異常があれば、いい仕事ができない、能力も発揮されないということの自覚。異常、間違いの原因(我執など)を早期発見、早期治療できるよう、体同様に心の定期検診を採用する会社や組織もほしいものだ。

正常・健康な人でやる経営こそ一体経営であり、それを妨げている原因を自覚して焦点を当てていきたいと思う。
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