雑考 Ⅲ

 音楽を聴く場合も、言葉を聴くのと同様だ。音楽が流れている、そう表現することがよくある。それはその空間に何らかの空気の振動(波動)があるということだ。その空気の波動を音楽と呼んでもいいが、その空気の波動を受け取って、それを雑音としてではなく音楽として聴くのは自分の聴覚器官(耳~脳)だ。そういう意味で音楽も自分の頭の中に流れていると言える。

 作曲する場合でも、まずは作曲者の頭の中になんらかの曲想が生まれるのだろう。その曲想は今までその人が聴いた数々の楽曲の総体がベースになって、そこから生まれてきたと思えば、やはりその人の聴覚器官(耳~脳)が関与してのものだと言える。

 いずれにせよ音楽は人の頭(耳~脳)の中にあるというべきで、音符等の記号に変換されて譜面に表現されたものや、歌われたり楽器で演奏されて空気の振動に変換されたものは、やはりその曲(音楽)そのものとは言えない。

 一応、空気の波動と人の頭の中に浮かぶ音の流れとの間には一定の対応関係が考えられるから、それをベースにして作曲が行われ、また演奏されたり鑑賞されたりもできるのだろうが、演奏者が譜面を見ながらある曲をある楽器で演奏する場合、その楽器が発する空気の波動は一つでも、その演奏者とそれを聴く鑑賞者のそれぞれの頭の中を流れる曲(音楽)は全く別ものだ。演奏者と鑑賞者と、それぞれ別の耳(聴覚)と頭の持ち主なのだから、それは当たり前のことだ。鑑賞者は演奏者が演奏する曲を聴いているつもりでいるが、実は自分の頭の中を流れる曲を聴いているということになる。
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