雑考 Ⅱ

 大雑把な捉え方かもしれないが、言葉というものは必ず音声と意味とがセットになっていると言ってよいのではないか。自分の頭の中にある言葉を思い浮かべるときには、意識するしないにかかわらず音声と意味とが伴っている。

 音声も意味も頭の中のこと。(言葉の)音声は何らかの刺激を受けて聴覚器官(耳~脳)が作り出すもの。(言葉の)意味については、作られるというより意味が付与されると言ったほうがいいかもしれない。意味はその人の経験や知識によって付与されるというだけでは説明としては不十分であると思うが、ここでの要点は言葉の意味は言葉を使う、他でもないその人自身によって付与されるということだ。つまりその人の頭の中にあるということだ。

 他の人が口から発した空気の波動を自分の耳で受けて、それを頭の中で言葉に変換する場合、まず音声に変換して、それに意味を付与するということだ。その時に言葉を自分の頭の中で作っていると言える。

 こう考えてくると、人の話(言葉)を聞くという場合のポイントが二つあるように思う。一つは外界に注意を向けて他の人が発した空気の波動を耳でそのまま受けようとすること。外からのものに耳を傾けると言ってよいと思う。もう一つは自分の内(頭の中)に注意を向けて、そこ(頭の中)に次々と浮かんでくる言葉(音声+意味)に耳を傾けるということ。

 人の話(言葉)を聞く場合にも、いつも自分の内に耳を傾けている、目を向けている。そんな聞き方があるのではないか。それが<あくまでも自分の受け取りであることを自覚しての聞き方>ということではないか。
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