内観の体験の中から Ⅵ

 内観の仕方として、『検事が被告を取り調べるように自分を調べる』という指示もあった。

 たとえば父に対する自分をある年代で調べる時、最初はその年代のいろいろな記憶がよみがえり、それに伴って自分の中にいろいろな気持や思いが湧いてくる。下手するとその思いがふくらんできて『調べる』ことから遠ざかって行く。何とか自分を本題(調べること)に戻して調べ始める。調べることに集中すると、その当時のことに対する自分の見え方も変わってきて、父に対する自分の思い違いや独り善がりな態度とかが浮かび上がってくる。同時に何かやりきれない気持も湧いてくる。途中そういう気持が何度が起こりそこからなかなか抜け出せない時もあった。その時『調べる』ことから遠ざかっている。

 『自分を調べる』とは『検事が被告を取り調べるように自分を調べる』ということなのだということを押さえておきたいと思った。日々自分の中にいろいろな気持が起こる。自分を調べる中でも途中いろいろな気持が起こる時がある。気持に浸っていたら調べられないなと思う。でも人はどんなことをする時でも、そこに何かしらの気分気持は伴っているのではないかとも思う。あまり意識はされにくいと思うが、そういう何かしらの気分気持も、何かそれをよしとしていて(あたりまえとしていて)、それが何かしら前提になってしまっていることもあるのではないか。『検事が被告を取り調べるように自分を調べる』ことの実質をもっと検証してみたいものだ。
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