私の社会像 2

 生きとし生けるもの皆、より良く生きようとするエネルギー(欲求)によって、進んでいるのだろう。
 人間の場合、生存の根幹をなす「肉体的欲求」というものは意外にわずかなもので、栄養を補う食料と、肉体を保護する衣類と住居くらいのものかと思う。美味しいものを食べたいとか、おなかいっぱい食べたいとか、身に合う衣服を着たいというのは「心理的欲求」であり、人間の「本能的欲求」だと思われるものを調べてみると、その大部分は「心理的欲求」であるということが分かると思う。
 この、人間の欲求の大部分を占めているであろう「心理的欲求」こそ、人間がより良く生きること、つまり幸福と大きな関係がある。
 前述した「人を縛る社会」は、人間本来の欲求に逆行するものであること勿論だが、「心理的欲求」は相対的なものだから、束縛が無くなったり、物の不足が解消すると、それで一時的な満足状態になる。しかし、社会からの束縛がなくなり、物が不足なく行き渡り、不満感・不足感がなくなったとしても、それだけでは、人間向きの社会とは言えないだろう。
 各自の目標・彼岸の達成、地位や名誉、金銭財物などを追い求めるのも「心理的欲求」だが、人は何によって、真に心充たされ、幸福になるのかを検討し調べ、それに主眼をおいた社会を構成することだと思う。
 それには、各自の欲求・要求・安心・満足を思うがままに出し合い、人と共に調べ合う場、仲良く実現し合う機会。それは権利・義務・責任など発生しない、誰がやってもよい、やらなくてもよい、各自の自由意志のみによる、かつてない新しい社会機構。子ども子どもして遊び戯れるような世界。
 それの実践の中にこそ、人の心の根源的欲求を充たすものがあると思う。
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