印象記 Ⅵ

口も利けず(言葉も知らず)、いわゆる自他の意識も持たないであろうホジョンが人に対して示す反応(主に目の動きや、泣きや笑いの表情)を見ての僕の推測に過ぎないが、ホジョンはある時期から人を他の物から区別して見るようになり、さらにある時期から人を見分けるようになったと思われる。

例えば、ホジョンは僕が抱いても泣きやまないとき、妻が抱くと泣きやむ。妻が抱いても泣きやまないとき、母である娘が抱くと泣きやむ。ある時期から僕と妻と娘を識別するようになったようだ。ホジョンが抱かれて泣きやむというのは、安心するからなのだろうか。それも日常オッパイやったりしてホジョンと一番接触の多い母である娘に抱かれると一番に安心する。ホジョンは娘がそばにいると一番安心しているような印象も受ける。いつもではないが娘が用事でそばから離れようとするだけで、ホジョンが泣き出すこともある。

人を見分けることができるようになると、いわゆる人見知りするようにもなるようだ。ホジョンは生後4ヶ月のころ特に人見知りが激しかったようだ。検診とかで病院に連れていくと他の多くの子の中で一番大泣きしていたようだ。何か不安になるのだろうか。不安になって泣くということだろうか。娘や妻の話では、女の人よりも男の人に対しての方が人見知りが激しいらしい。男女の区別もそれなりに感知しているらしい。

これらのことから僕が思ったことは、この時期、つまりホジョンが人を見分けることができるようになったこの時期に、すでにホジョンの心に人に関わる安心と人に関わる不安みたいなものが出てきているのではないかということだ。意識されてはいないが、人に関わっての安心の状態と不安の状態をホジョンがすでにその心に体験しているということだ。
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印象記 Ⅴ

ホジョンのこの8ヶ月間の成長の中で、特に僕が興味を惹かれたのは、周りの大人に対するホジョンの反応だ。例えば泣いたり笑ったりすることにおいても、さまざまなケースがあり、またその表情にもいろいろなニュアンスが出てきているということだ。

ホジョンの内面がどのように変化してきているのかは、直接観ることはできないが、いわゆる気持の変化やいろいろな感情の発生と呼んでもいいような事態がホジョンの中に随分と出てきているのだろう。ホジョンの内面がより豊かになり、徐々に人らしくなってきていると言ってもいいのかもしれない。

そういう中でも僕が面白いと思うのは、ホジョンの中での人を見分ける能力の発達といったらいいだろうか。

生まれたばかりの赤ん坊は視力がほとんどないようだ。ホジョンの目が動くものを追うようになったのはいつの頃からだったか、生後ひと月かふた月か、よく覚えてはいないが、そのうち人の動きを追うようになってきた。ホジョンの周りで動くものといったらほとんど(母親などの)人だから、人の動きを追うといっても、最初から人を他の物から区別して見てはいなかっただろう。

ただ、そのうち人の顔を見るようになり、さらに人の目をハッキリ見るようになり、人と、目と目と見合すみたいな感じも出てきて、人の顔を見て笑ったり泣いたりと、人に対していろいろな表情を作る。最初人の目をチラッと見るが、あとは如何にも興味ないといった顔をして、目を逸らすこともある。

もうすでに(他の)人というものが、ホジョンにとって他の物とは区別される存在になってきていることは確かなようだ。いつの時点からそのようになったかは、よく分からないが・・
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印象記 Ⅳ

あるときホジョンが寝転んでいる横で、僕がくしゃみをした。見るとホジョンの顔が歪んできて、ウェーンという感じで泣き出した。大きな音(くしゃみ)にびっくりしたようだった。泣き出すときのホジョンの顔は何とも言えないほど可愛いものだが、僕はそれ以来ホジョンの近くではくしゃみをしないようにした。

くしゃみばかりでなく、近くで大人が急に大声で話したりしてもびっくりするようだ。大人はびっくりしても泣くことはないだろう。ホジョンがびっくりして泣いたとも言えるのだが、何か怖がっているというようにも受け取れる。怖いという意識はないにしても、そのときホジョンの中に<怖いという感情>が生まれているのかもしれない。

日常使われる<怖い>という言葉だけでその時のホジョンの心理を表現できるわけでもないだろうが・・

お腹が空いて泣く、眠たくて泣く、抱っこして欲しいと泣く、ぐずって泣く、びっくりして泣く、怖がって泣く、等等、僕がいろいろに受け取るわけで、ホジョンがそういう意識(思い)を持って泣くわけではないだろう。でもホジョンにしても、周囲(の人)の状況や自分の身体の状態をホジョンなりにキャッチしての反応(泣き)を示しているのだろうから、ホジョンなりにいろいろな欲求や感情を体験していると捉えてもいいのではないか。
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印象記 Ⅲ

ホジョンの泣きと笑いがセットになって観察されるときがある。おもちゃをいじったり舐めたり、そこらをごろごろ転がったり、そんな独り遊びに飽きる(?)と、泣き出すことがある。大泣きするというよりべそをかくという感じだ。そのままほっておくと泣き声もだんだん大きくなるが、抱いてやると、すぐに泣きやんでニッと笑みを浮かべる。ガラッと表情が変わる。如何にも「してやったり」という感じ。

生まれたばかりのころは、ホジョンが泣くのは、主にお腹が空いてオッパイを欲しがるときと眠たいときのようであったが、それ以外にも、ホジョンが自分の内なる欲求を泣きで表現するようになってきたということか。言葉を知らないホジョンは泣きと笑いで自分(の内)を表現しようとするのかもしれない。こういう捉え方も全部、僕(大人)の感情(感覚)移入による解釈なのだが・・

抱かずにほっておくと、ホジョンの泣き声がだんだん大きくなる。涙も出てくる。それを見て「ホジョンがまた怒りだした」と妻は言う。大泣きし始めてから抱いてやると、泣きやむのだが、その場合すぐにはホジョンの顔に笑みは浮かばない。

こういう場合一般的には「ホジョンがぐずっている」とか「駄々をこねている」というようにも捉えられるわけだが、果たしてこのときのホジョンの内に腹立ち(の芽)があるのかどうか?・・

大人の腹立ちにしても、その多くは所詮我儘が通らないときに起こるのだろうから、その心理状態としては、乳幼児の<ぐずる>とか<駄々捏ねる>ということに通じるような気もするが、どうだろうか?・・
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印象記 Ⅱ

ホジョンは生後一週間もしないうちに笑みを浮かべた。眠っているときにも時々笑みは見受けられた。その内面がどのような状態であったかは知るよしもない。その時点でもう何か感情と呼べるようなものがそこに発生していたのかもしれないし、単に顔面の筋肉が偶然弛緩しただけなのかもしれない。

いつしか人の顔を見て笑うようになった。最初はゲラゲラ笑うというより人の顔を見て<にやり>とするといった感じだ。この時点では、すでに人の顔を見ての反応変化(感情?)がホジョンの内面に起こっていたと見てもよいのではないか。

間もなく生後8ヶ月になる今の時点で、かなり笑うようになってきている。笑い方もいろいろだ。どういうつもりか知らないが、ホジョンは最近僕の顔を見ただけで、足の屈伸運動をしながら声を出して笑うときもある。生まれたばかりのころは、泣いてばかりいるという印象が強かったが、もちろん今も泣くときには大いに泣くが、それと同じぐらい?に笑う。大人はその笑い顔を見たくて、赤ん坊をあやすのだろう。それに助長されて赤ん坊の笑う頻度も増えていくのかもしれない。

一概に言い切れないかもしれないが、やはり赤ん坊は人が回りにいるときに笑うことが多いのではないかと思う。いろいろなケースはあるだろうが、赤ん坊は主に人に反応して笑うのではないか。それは人との接触でその内面に変化が起こっているということだろう。

意識的に細かく観察していたわけではないので、ホジョンが笑うときのいろいろなケースや笑い方のニュアンスが、生後の時の経過の中でどのように現れてきたのか具体的には表現できないが、笑いということを通してもホジョンの内面における、周囲、特に人対する反応が次第に豊かになってきている、いろいろなニュアンスの反応変化が起きてきている、そのように受け取ってもよいような気がする。

それを、いわゆる気持の変化や感情の発生と見てもよいのではないか。この時期、身体や動作の成長発達とともに、内面における成長発達?も大いに進展していると見受けられる。
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