研究所サロンに参加して Ⅳ

 スライドに「言われた通りやるの(言われた通りやる子)が良い子」みたいなことが書かれてあった。(自分の記憶に残っている印象だが)

 それを最初見たとき、「自分はそういう見方はしないな」みたいものが自分の中にはあったように思う。少しして「自分が何か子供に声かけたとき、その子が自分の言う通りやらなかったら、自分はどう思うだろうか、その子をどう見るだろうか」みたいなものが自分の中に出てきた。「何かその子に対してやっぱ面白くないものが出てくるかもしれない」とか思ったようだ。(それほど明確に思考したわけではないが、そのとき自分の中に出てきたものを言葉で表現するとこんな感じになる)

 自分の中の反応の変化を通して思ったことだが、「言われた通りやるのが良い子」みたいな見方は一般常識で、自分はそういう見方はしないと頭では思っていても、自分をよく見るとそれも怪しくなってくる。

 研究所サロンで、他の人の見方や考え方に触れて、なるほどそうか、そういうことかと理解同調しても、それが頭だけでのことなのか、実際の自分に即して(自分の実際に目を向けながら)受け取っているのか、その辺の違いは大きいように思う。

 以前は、いろいろな見方考え方を知識観念として自分の中に入れるだけで、自分に目を向けることをほとんどしなかったように思う。ちょっと大げさになるかもしれないが、自分を知らずして知識観念(思い)を膨らませるばかり、そんな生き方をしていたようだ。それでは、今はどうなのか?・・・
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研究所サロンに参加して Ⅲ

 研究所サロンで「固定する思考」という話を聞きながら、「最近孫ホジョンは抱いても中々泣きやまなくなったな、前はこんなじゃなかったのに」みたいに思うことが多いが、そういう自分の中にも「固定する思考」があったのかなと思った。

 1~2ヶ月のころはホジョンが泣いているときに、娘や妻(あるときは自分)が抱いてやると泣きやむことが多かった。そういうときに「抱いたからホジョンが泣きやんだ」みたいな思い方をしていたようだ。毎回毎回そのように決めて見ていたというわけでもないのだろうが。それがいつしか固定したものになっていたのだろうか?・・「前はこんなじゃなかったのに」みたいに思うところからすると・・

 「抱く(原因)→泣き止む(結果)」という「固定する思考」が自分の中にあって、それに合わない事態に直面して心が(少し?)ゆれたのか?・・ん?それに合わない事態って何?

 今度は「大きくなるとこんな感じになるのかな」と別の見方をとろうとする。見方も思考も、どうも何か固定する方に向かいそう。固定化(固定する思考)が日常化している?

 よく考えてみれば、孫の実際をそう簡単に説明できるわけないのに、とは思うが・・
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研究所サロンに参加して Ⅱ

 昨日の研究所サロンの最初の方に「固定する思考」という話があった。

 今朝散歩の途中、信号のある横断歩道を渡ろうとしたときのことだが、30mぐらい手前に来たとき信号が青に変わった。「オッ!」と思って、ちょっと走って道路を渡った。

 それから3分ぐらいしてから、そのときのことが思い出された。青と見てすぐ走ったなと思った。「青のうちに渡らなくっちゃ」という意識が働いたようだ。考えてみると、いつも早朝の散歩のときは、その横断歩道は信号が赤でも車が来るか来ないか確認して渡っている。なのにさっきは青と見てとっさに身体が反応したようだった。

 「青だから渡る」という(習慣)が身体に染み付いているようだ。それは「青ーだからー渡る」という「固定する思考」で自分が行動したということか?それと、赤のときに道路を渡る場合でも「赤でも、朝は車がほとんどないから」みたいな、ちょっと特別な?意識になっていて、その底には「青ーだからー渡る」という「固定する思考」があることに変わりないのでは?

 自分の中の「固定する思考」にも中々気付きにくいみたいだ。
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研究所サロンに参加して Ⅰ

 スライドに「人が上にも下にもならない、人と人の営み暮らし」というように書かれていた。(少し言葉は違っているかもしれない)

 今思うと「上も下もない」というのでなく「上にも下にもならない」とあるのに自分が反応したようだ。「人には上も下もない」という見方は、自分にとっては当たり前のことみたいに思ってはいる。

 話を聞きながらフト思い出した。何かの買い物したあとレジで「ありがとうございます」と頭を下げられると、少し自分が上になるような感じがするな、と思った。それは自分の中の意識や気分みたいなもののようではあるけど、そういう意識や気分になったりするというところに何があるのか?

 自分の思いとは裏腹に、自分の中に人に対する上下観があるということか? 「人に上下はない」と思っているけど、「人を上下で観ている」という実際があるということか? 客として扱われるときばかりでなく、年下の人に対してとか、新入社員に対する自分の実際はどうなのか?

 自分の中にある人間観・社会観というものに気付いていないことが多いようだ。
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社会観の元となる人間観

第14回 研鑽科学サロン 「社会観」の元となる「人間観」

1.思考について
2.欲求 意志 感情 などについて
3.教育やしつけ と 意志
4.やらせる やめさせる
5.社会と人間
 (現状の社会観・人間観に留まって停滞している実情)
6.自由欲求・自由意志で生きられる社会

社会観は、「社会とはこういうもの」という社会に対する見方
人間観は、「人間とはこういうもの」という人間に対する見方

ハッキリとした人間観、社会観を持っているという自覚がないことが多い
生まれてからずっと、人の中、社会の中で生きていて、生まれ育った周囲環境から受けたものによって、知らず知らずの内に人間観、社会観がその人の頭の中に形成されている
自分の中に形成されている人間観、社会観を観察し調べようとしないと意識化できない
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