誰もが幸福になるには

理 ・ 本 質 | - | -

誰もが幸福になるには

こうすれば幸福になる、こうなったら幸福だ、というものを追い求めていても得られないと思う。
誰もが幸福になろうとしているように見えるが、幸福そのものが曖昧なために、
金に不自由なく暮らせればとか、物が豊かになればとか、人間関係がうまくいき仲良くやれればとか、自分を発揮する持ち場や環境があればとか、心の安らぎが得られればとか、・・・・
幸福を何か別のものに置き換えて、それが実現すれば幸福だ、と思っているようだ。それらは幸福とは無関係ではないだろうが、それが実現したら本当に幸福か、どうか。やはり、何を以って幸福というのか、が先ず必要だと思う。
それをやらないで、各自 思い思いに置き換えた幸福像を追いかけている。
自分にとっては、これが幸福だ、と断定できる人も、本当にそれで幸福といえるか、どうか。
幸福というのは、一時的なものや、個人の感覚的なものなのか、どうか。
世界平和、恒久平和、といっても、人によって、考え方、描き方が随分異なるのではないか。
一つにまとまらない、収集がつかない、賛否両論のままで、多数決や力関係で、何かを実現したとしても、それで、本当の平和、万人の幸福が実現するか、どうか。
幸福とはこういうものだ、幸福になるにはこうすべきだ、
 ・・・との断定を持たないもの。
 ・・・と断定できないもの。
 ・・・断定できるのかもしれない。

幸福とはどういうものか、幸福になるにはどうすべきか、
 ・ 幸福とはこういうものではないか、そうではないかもしれない
 ・ 幸福とはそういうものだとしたら、どうすべきか
 ・ 幸福になるには、こうすべきではないか、そうすべきでないかもしれない

○ 幸福を研究する機関
○ 幸福を知る社会制度
○ 幸福を実現する活動


幸福 社会システム
    ○ 幸福社会・幸福生活 研究所
    ○ 幸福を知る制度
    ○ 幸福社会化活動
人の正常化 ~ 社会の正常化 | - | -

解放の中身

研修生の人達と、職場解放区について、一週間探ってきた感じがある。
その中から、今日は一つメモ。

自覚のない状態は、「その事がそう」となっている状態。
つまり、自分自身の捉え方なのに、そこの自覚がなく、「事実はこう」と、決めている状態ということだろう。

つまり、自分の捉え方に縛られている状態。
自縄自縛というが、自分が捉えたことが動かせないものとなってしまって、その後の行動を考える際も、そこからしか考えれなくなる。
そういう捉え方為す行為は、すべて束縛区の方向へと繋がっていってしまう。

例えば、ある出来事を、「これは、エライこっちゃ」と捉えると、そこからいくら良い方向へとやろうとしても、問題視からの出発は、問題視の解決策にしかならない。
問題だ、という捉え方は動かせない、固定している訳だ。
そこから自らが解放されてこそ、自由に発想できるのだろう。
解放される=自覚が生まれる、ということだろう。
エライことが起っているわけではない。そう捉えている自覚。

エライ→ 何とかしなければ → 焦る → やらなければ・・・という循環。
そこからの解放があってこそ。

出発点の問題。
そこに光を当てられる人がいてこそ、解放区実現の道が開けてくるのだろう。
自覚の有無。
自分自身の解放から。
職場解放区を考える(続き) | - | -

研鑽社会化活動

誰もが幸福になるには

誰もが幸福になることを欲して、そうなるよう、そうなるよう努めている。
自分の幸福は、自分で実現するものだ、と・・・

物質的欲求、精神的欲求、共に充分に満たされたら幸福と思い易い。
自分は満たされていると思っても、隣りに不平・不満・不足・寂しい・貧しい人が居たら、どうだろうか。
努力する人や才能ある人だけ満たされ、優越感・満足感・幸福感を得たとしても。

みんな誰もが幸福を求めて、同じ方向を希っているように見えるが、ぶつかり合うのは、なぜか?
同じ方向なら、個々別々に努力するよりも、力を合わせた方が実現容易と思う。

自分の欲求を満たしたら幸せ---
ここに、ぶつかり合う原因がある---

自分の物質的欲求、精神的欲求を満たしたら幸せか、どうか・・・先ず、これをやる要あり。
それには、自分の欲求をよく調べる。
欲求の多くは本能的なものでなく作られたもの。(観念的欲求)
それを追いかけていて、本当の幸せになれるか、どうか。

周囲からの誘惑に惑わされないで、(自分の)本当の幸福、心底の欲求、希い、理想・・・
それを実現しようとする人生・・・
一度や二度ではダメで、くりかえし繰り返し、絶えず、それに照らして日々を暮らしていく。
周囲・環境・社会気風できてきたら容易だが、それまでは、観念的欲求を埋めた慰安的幸福感に陥り易いから、自分の本当、本当の自分、に焦点を当てる研鑽生活が必要。

そういう人、複数できると早い。
目指すもの、幸福の焦点、ずれない人
たえず、自分を見て、本当を指向する人


今やってる、職業、学業、趣味、家庭生活・・・、みな、本当の方向で見直すことになる。
何のための仕事か?、勉強か?、家庭か?・・・

自分で自分を見つめるにとどまらない
そういう人 寄ると、互いに反応して、どんどん、どんどん・・・
発見→発案→改良→発展→発見→発案→改良→発展→発見→発案→改良→発展→

① 観念的欲求でやってることの発見、間違い発見、原因発見、真実発見
② どうしたら本当の幸福に向かうかの発案、仕組み発案、運営発案、具現方式発案
③ 相協力手分けして活動、役割分担、持ち味発揮、専門家輩出
④ 高度 精密 人為 自然 研鑽科学 社会活動


人間らしくありたい と個々に心持ちを正して勤勉に暮らしても、幸福生活の一要素にはなるかもしれないが、それで、皆が幸福に生きれるものでもない。

心の持ち方、精神面も大事だが、それを実現するにも、社会の必要性。
物心共に豊かに生きられる社会。
それには、社会そのものに、人間の幸福、本当の人間らしさ、に照準を合わせた仕組みと運営(機構・制度)が必要。

社会自体が、人間の幸福とは何か、幸福社会とは何か、物の豊かさ・心の豊かさとは何か・・・
これを解明する に重点をおく社会
これを実践する に重点をおく社会

・・・ということになると思う。

常に、幸福は何か、どうやって実現するか・・・
これこそ、幸福運動、幸福社会化活動


研鑽社会システム
    ○ 研鑽科学研究所
    ○ 研鑽ライフセンター
    ○ 研鑽社会化活動
人の正常化 ~ 社会の正常化 | - | -

11月度研修生コースをやってみて

2回目の研修生コース開催された。
今回は、社会化活動につながっていくための「研修生コース」というところを意識して臨んだ。

「自分を知るためのコースでやってきた内容と、日常の暮らしや仕事が、どうもつながらない」
「コースの内容は大事だとは思うけど、段々薄らいで、日々を回すのに精一杯」
そんな声を聴く中で、合宿研でやられている内容が、日常の仕事や暮らしのベースになっていくところが今の大事な課題だと思っている。

研修生コース目的:基本を身に付ける
・自分の感覚であることの自覚
・自分の中に起る回路を観察、調べていく
ということだが、ここを地道に繰り返しやっていく。
そして、今回は、これと、職場解放区との関連という視点を絶えず織り込んでやってみた。

自覚がないということは、どういうことを周囲に及ぼしているか?
自覚があることで、何が齎されていくか?
この辺を実際に仕事や暮らしをしながら、朝晩の検討会で検討していくことで、自覚の有無が、職場解放区になるのか、はたまた束縛区になるのかということに、直に繋がってくることがくっきりと見えてくる。

「自覚してなかった」、「事実化していた」・・・と、そんな個人レベルのことに止まることではなく、自覚のないことから、自分も固定化し、周囲を縛り、様々な波紋を撒き散らしていることが、段々に見えてくる。

逆に、自覚が生まれることから、自分が解放され、その場が話し合える空気になり、責めも、義務もない世界が生まれてくるのが、垣間見えてきたり・・・。
この革命が、どのように展開されていくのかの雛形が、少しずつ描けてくるようだ。
自分を知るための研修生コースについて | - | -