お金について(B君へのメール)その6

鈴鹿での社会実験を重ねる中で、お金が介在しないことで、つながりがはっきり観えたり、そのもの自体の価値が観えやすくなったり、気持ち的な楽さ、快適さが増大したり・・・。お金の影響力ってすごいなって思いますね。だからこそ、お金自体を、忌み嫌うわけでもなく、無視するわけでもなく、かと言って過大に見ないで、お金そのものを、そのものとして見て、上手に扱い、人間の幸福、快適、本質の方向へと進んでいくことかなぁと思っています。
(一応終わり)
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お金について(B君へのメール)その5

お金の要らない間柄ってあるよね。家族は一番分かり易いと思う。子供が、お母さんの作ってくれたご飯を、一々いくらかな?なんて考えない。お母さんも、子供に対してしてやったことが、一時間いくらだ、なんて考えない。もちろん、お父さん、お母さんは、買い物に行ったりして、お金を払って何かを買ってきたりするんだけど、現実社会との接点ではそうやってお金のやり取りをしているわけだけど、その論理は家族の中には持ち込まれないよね。子供はタダでご飯を食べ、おやつを食べている感覚じゃないかなぁ。いや、実際にはお金を出して買ってきているからタダじゃないと言う人もいるかもしれないけど、それはお金から見る論理で、子供の実感からは、タダという感じじゃないかなあ?(大きくなると、お金の論理に毒されて行っちゃうけどね)
そういう感覚でやれる空間って大事だし、そういう空間を少しずつでも広げて行きたいなと今は思っている。
以前の○○でやっていたのも、そんな感じがあるんじゃないかな。参加費は一応払っているけど、○○の中では、タダ働きだし、いくら食べても気兼ねはないし、仕事してなくっても、食べる時には咎められないし・・・。
今、さぬき兄弟というお店に行って食べる時、お金を一切介在しないでやろうということでやり始めて、なんかすごい開放感があるんだよね。(ま、これも感じだから、中身をもっと調べたいけどね)こういう空間から感じるものも大きいし、次が描けてくるし、こういう試みはほんの小さな試みなんだけど、一角から拡がっていける質があるように思ってもいます。これから、これもよしとしないで、検べながら、こういう空間を拡げていきたいものだと思っています。(つづく)
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お金について(B君へのメール)その4

最近思っているのは、出来るだけ、お金なしでやれることをもっと広げれないかなって。
お金の存在は否定も肯定もないよね、ある間は最大に活かして使うだけ。
お金がなければ生きていけないって思い込んでいる人も結構いるみたいだけど、実際は、お金を食べているわけでも、お金を着ているわけでもないんだから、食べ物がある、着る物がある、使いたい物があれば、いいわけだと思う。
そういう意味では、実物が流れる仕組み、間柄があれば、お金がなくても、ちゃんと生きていけるということだよね。
ま、そう言いながらも、実際には、お金を使う要素も今は一杯あるんだけど、少しずつでも、お金を介在しないでいける人同士の中では、わざわざお金の交換はしないで、やれないかと考えている。
ま、このへんも丁寧に見ていかないと、じゃ、お金なんてどうでもいいということととり違いしやすいし、そういう誤りもしてきた感じがする。
経済面は経済面でちゃんと見る視点は持ちながら、実際のやり取りでは、できるだけお金を通さないで、実物、実体で見ていけるような仕組みなり、方法が大事だと思っています。(つづく)
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お金について(B君へのメール)その3

お金がないことで、やれること、味わえることも、たくさんありますよね。
B君がやりたいあたりも、こっちの方のことなんじゃないかな?
現状の社会の中で何かを経営していく上では、資金がちゃんと循環して成り立っていくという一側面があり、経済行為はしていくんだろうけど、それはそれとして、人との関係や、人との交流は、お金を介しない心の交流だろうし、お金や報酬を度外視した、無償の行為や心が、一番の価値があるんだろうし・・・。
子供に対して、何かしてやりたいということには、お金のことなんか、まったく関係ないし・・・ね。
お金があることで、却って、お金を払えばやってもらえるということで済ませてしまうことも多々ある気がします。
お金がないことで、色んな人に声をかけることが出来るし、色んなつながりでやれることも出てくる。
よく「家を建てました」という言葉も聞かれるが、その人は家なんか建ててなくて、お金を出したというだけのこともある。お金を出して、後は全部大工さんや左官屋さんが建ててくれるんだけど、その事実が観えないで、自分が建てたと錯覚する。
お金があることで、観えなくなることも沢山あるんじゃないかなぁ。
お金があっても、そこが観えていたら、もっとお金も活かせていけると思うけどね。
要は、お金があろうが、なかろうが、どこを観て行くかってことなんだろうけどね。
お金があると、「目がくらむ」って感じになりやすいこともあるね。
お金で人を動かせると思っている人も沢山いるよね。
また、お金で動いちゃう人も沢山いる。
まさしく、目がくらんだ状態って感じかな。
お金は、現代社会では、すごい力を持っているね。
(つづく)
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お金について(B君へのメール)その2

お金に捉われないとは、どういうことなのかな?って思います。
お金に捉われない=儲けない、とか、お金を使わない、とか、お金がない、とか、
取り違えていることが多いような気がします。
お金はどういうものか、ちゃんと見て、お金をお金として、道具として、そのもらしく扱えるのが大事だと思います。お金はある間は、大いに活用するが、その意味、使い方を、ちゃんと検べておくことだと思います。
捉われたり、執着したり、振り回されたり、大事なものを見失ったりしないことかな。
ちゃんとお金と向き合うことが大事だと思います。

「お金はないよりも、あった方がいい」という固定観念は、かなり強烈にある気がします。
これは、何かの機会でじっくりと検べられると面白いと思います。
本当にそうかな?って思います。
これも、「じゃ、無い方がいいってこと?」と反対に捉えるのも、同じことかなぁと思います。
お金があるとは、あるということで、それだけのことなんだろうけど・・・。
お金があることで出来ることもあるし、お金がなくても出来ることもあるし、お金があることで観えることもあるし、お金があることで観えなくなることも沢山あると思います。だから、一概にいいとも悪いとも言えないと思うのに、「儲かった!ーーーよかったねぇ!」「お金があるといいねぇ」「お金があったら○○ができるのに」と決め付けている観念は検べ直しておきたいと思いますね。
(つづく)
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