解放の中身

研修生の人達と、職場解放区について、一週間探ってきた感じがある。
その中から、今日は一つメモ。

自覚のない状態は、「その事がそう」となっている状態。
つまり、自分自身の捉え方なのに、そこの自覚がなく、「事実はこう」と、決めている状態ということだろう。

つまり、自分の捉え方に縛られている状態。
自縄自縛というが、自分が捉えたことが動かせないものとなってしまって、その後の行動を考える際も、そこからしか考えれなくなる。
そういう捉え方為す行為は、すべて束縛区の方向へと繋がっていってしまう。

例えば、ある出来事を、「これは、エライこっちゃ」と捉えると、そこからいくら良い方向へとやろうとしても、問題視からの出発は、問題視の解決策にしかならない。
問題だ、という捉え方は動かせない、固定している訳だ。
そこから自らが解放されてこそ、自由に発想できるのだろう。
解放される=自覚が生まれる、ということだろう。
エライことが起っているわけではない。そう捉えている自覚。

エライ→ 何とかしなければ → 焦る → やらなければ・・・という循環。
そこからの解放があってこそ。

出発点の問題。
そこに光を当てられる人がいてこそ、解放区実現の道が開けてくるのだろう。
自覚の有無。
自分自身の解放から。
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束縛区、解放区

ある職場でのこと。

打合せで
「この場所は、資料を閲覧場所として使おう」
となった。

Aさん場合は、「ここは資料を閲覧する場所だ」となってしまう。
だから、それ以外のことは認められなくなる、許せなくなる。
そうすると、そこに物を置いたりする人を見ると、「まったく!」「何で、こんな所に、こんな物を置くの!」と、人を責めるような、邪魔な物が置かれているような反応が起きてくる。
職場にそういう空気が流れていく。
そしてまた、Aさんが、それを徹底しようとして、次の打合せで、「あそこは、資料を閲覧する場所として決まったでしょ。みんな守って下さい」と強く言う。
そうすると、「そこは、資料を閲覧する以外には使ってはいけない」という空気が流れる。(そういう観方の人が増える)
そうしない人に対する視線がますます厳しくなる・・・。
束縛区が、こうして出来上がっていく。
みんなで話し合い、一致点がでるほど、窮屈になってくる。

Bさんの場合は、「資料を閲覧する場所として使っていこう」というのが、自分の中のこととして自覚されている。
その場所は、その場所としてある。
物を置く人は、その人の感覚で置いている。
物は物としてある。
閲覧する場所としてつかいたいけど、どうか?という視点で考えれる。
いつでも見直せる、考え直せる。
みんなで話し合って、一応こうしようとなったことも、それも、各自の中にそれがあるだけ。(その捉え方も一様ではないのだが・・・)

どちらの方向に行くか?
出発点で決まるようだ。
自覚のある人、ない人・・・。
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親和・協力の人  利己的な人

〇親和・協力の人
 自覚のある人
 幅る恥ずかしさを知る人
 われ、ひとと共にの人
〇利己的な人
 自覚ない人
 幅る人
 われ、一人の人

幅る人とは
 自分が思っているという自覚のない人。つまり、
 「当然」がある人。「当たり前」のある人。
 「やるべきこと」や、「やらなければいけないこと」がある人。
 「ここはこうなっている」とか、「これはこういう使い方だ」がある人。
 キメ、決まりが自ずと生ずる人。 
 つまり、自分の考え(と本人は思っていないが)で、人も自分も縛る人。
  ・・・・・

会社などでは、今の社会の接点があるというのもあるだろうし、既成の価値観を見直さないままでやっていることが多いので、
「当然だ」、「やるべきことがある」、「これはいつまでにやらないと」とか、「ここはこういう場所だ」とか、自分の考えでキメていることに気づかないくらい、キメツケが日常化していることもある。
自覚のない人は、自然と幅る。幅っていることには当然気がつかない。
そして、意識としては、「仕事を一生懸命やっている」、「やるべきことをやって役に立っている」という感じになってしまうのだろう。

「仕事が出来る」、「役に立つ」、「成り立たせる」などの価値観から見ると、幅る人、自覚のない人のやる仕事でも、充分価値があるように見えるのだろう。
そして、そのような「仕事のやれる人」が、重要なポストについたり、そういう人の意見が大きくなってきたりする。
つまり、そういう人が栄えてしまう・・・。

自覚のない人が大事なポストにつけば、「当然」、「やならければ」とか、「これは絶対にやるべき」などの価値観が会社の気風となり、仕事を成り立たせるためには人を縛ったりすることも平気になるだろうし、また、幅っている自覚がないから、根本的な話し合うことも出来ないから、「あの人が言うから・・・」と、「しょうがないけどやる」といった空気が流れ、解放区とはまるで正反対の方向に進んでいく。解放区からは、どんどん遠ざかっていく。

解放区、アズワン社会を実現するには、
利己的な人には協力しない・・・。
親和・協力の人が栄えるように協力する。
これは社会運営の基礎的な要素。

本質的な社会が出来ていくには、まだまだ勉強が要る。
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