平等な社会

 「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」この言葉を知らない人、異論を唱える人は少ないと思うが、実情を見れば「人間は人の上に人をつくり、人の下に人をつくる」ものだと云わんばかりの社会状況である。
 平等と言えば、基本的人権、男女同権、義務教育、納税義務、法のもとの平等、差別をなくす、等々かかげているが、いったい平等とは、どういうことか、と明らかにしていきたい。
 手元の辞書を引いてみると、平等とは等しい人格的価値を有すること、とある。
 昔のような士農工商の階級制度や奴隷制度は、明らかな不平等だと否定するが、かといって今の社会が平等か、どうか。殆どの組織には上司と部下が存在し、命令する人と従う人という構造がある。また、能力が高く力のある人は多くの物を欲しいままにできるが、そうでない人は少ない物で辛抱しなければならない。
 簡単に言うと、貧富の差があること自体、不平等ではないだろうか?物財を個々に所有すること自体、使用の機会の不平等が生じるのは当然ではないだろうか?
 誰もが幸福に豊かに暮らせる社会を望む人は多いと思うが、今の社会では豊かな人と乏しい人が有ることを当然としている。それどころか、能力の高い人も低い人も、努力する人もしない人も、働いている人も遊んでいる人も、同じように豊かに暮らすなんて「不平等だ」という考えが多い。能力がある人、努力する人、よく働く人は豊かでいいが、そうでない人が豊かなのは許せないと云わんばかりである。
 あんな人は貧しくて当然だ、あんなことをする人は蔑まれて当然だ、と言っていては、いつまでたっても本当に平等な社会は訪れないと思う。
 果たして本当に平等を願っているのだろうか?願っているとしても、いったい、その平等とは、どんなものなのだろうか?
 事実、物の偏在がなくなり、欲しい人が欲しいだけ使用できて、貧富の差のない社会となると、今の社会からは想像もできないと思う。なぜなら、今の社会では平等を口にしていながらも、貧富の差、人の上下はあって当然としているからである。そういうもののない社会は想像し難いのだろう。
 人には生まれながらの個人差がある、そして環境的にも恵まれた環境とそうでない所がある。これも不平等といえるのではないだろうか?こういうことさえも克服して誰もが豊かに暮らせるようにとの願いがあって、凡ゆる研究開発が行われ人類は進歩向上していく。
 人間の狭い観念から来る欲望で、支配したり占有したりして、わざわざ不平等を作る要はないと思う。
 自分の能力・持ち味に適した仕事で自己を最高に活かし、欲しい必要なものが自由に得られれば、誰でもどんな人でもその人らしく豊かに暮らしていくことに何の不服もない筈だ。不服どころか喜びだと思う。
 物のみについてのことではなく、ある人は自由にできて、ある人は自由にできない、というのではなく、誰にもどんな人にも自由が平等に得られる社会。
 今、私たちが実践しつつある実態を分析しながら、自由な社会・平等な社会の研究と実験を進めて行きたい。
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