2012年が動き出す。

一体全体 「社会ってなんや?」「コミュニティってなんや?」 先ず、そこをやらないとね。
それをやらないで、「コミュニティがある」「スクールがある」「SCSがある」「会社がある」
・・・と 思って暮らしているのは、「コミュニティ依存」「スクール依存」「・・・依存」の主体性のない妄想観念人間の烏合の衆にすぎないだろう。

「コミュニティ」と言っても、要は人の集まりで、「誰が何をしているか」ということが、必ずある筈。
どんな事業、機関、役割でも、必ず「誰かがやっている」「それをやっている人がいる」
スクールは誰がやってるの? 研究所は誰がやってるの? この事業は誰がやってるの?
弁当屋は誰がやってるの? 弁当は誰が作ってるの? 会社とかSCSとか言っても、
いろいろな人の活動があるから、それぞれに誰がやっていることなのか?
リンカも 財団も パンフも HPも 広報も 出版も、それぞれに誰がやってるの?
それを明らかにしないで、漠然と「みんなでやってる」とか「そういう部門がやってる」みたいに言って、主体性のない「・・・依存」の人を作るんだと思う。
巷でも公式見解とか全体の意志だの方針だのと、曖昧模糊にさせておいて、その幻想みたいなものを事実化して、信じたり批判したりしている。個人であっても複数であっても、誰かが考え、やっていることなのに、そこを明らかにしない。
やる人がいるから、機能したり、具体化したり、ものができたりする。
そうならないのは、そこをやる人がいないだけ。


例えば、この事業はAさんがやっている、この機関はBさんがやっている、このミーティングはCさんがやっている、この部門はDさんがやっている、この作物はEさんが育てている、
「誰がやっているか」が、ハッキリしてくると・・・、
「・・・さんがやっているとは、どういうことか?」「・・・さんだけの要素じゃないだろう」となってくる。
そうすると・・・、
「なぜやれてるんだろう・・・?」と、そのことがやられている実態が浮かび上がってくる。
そういう過程を経ないで、一足飛びに、「みんなでやってる」みたいに観念づいていくのが一番ダメだと思う。
具体的・現実的に、「・・・さんがやっているから、そのことがある」 先ず、そこを明らかに!!
まあ、2012年は、ここからだね~!!
補足:
言いたいのは、「誰がやっているか」を明確にするということです。
誰もが、何かやらなければならないということでもないし、
何もやらない人、働かない人がいるのは、大いに結構なことです。
繰り返しますが、「やられていること」に対して、「みんなでやってる」とか、
「ここにはそういう機能があるんです」みたいな、所在を明らかにしない、煙に巻くような、思わせ方は間違っていると思うのです。
社 会 観 | - | -