人間を自覚する

以前、「研究所サロン」 (2009.6 No.18) で少し触れたけど・・・、
人間の意識ある行為って、表現・ニュアンスは別にして、3通りくらいじゃないかな・・・。
 ※ 必要があると思ってやる
 ※ やった方が良いと思ってやる
 ※ やりたいと思ってやる

自分や人の行為を意義づけたり批判したり、「立派な行為だ」「ひどい行為だ」と言っても、3つの内のいずれかに該当するだろうから、人の行為って案外単純なものだな・・・。
やりたくもないことを嫌々・仕方なくやるのは論外だけど、やりたいと思ってやっても、理由を調べると、「必要なことだからやりたい」「やった方が良いからやりたい」なんてことも多い。
人間の知能の特色の一つと言えると思うけど・・・、人間は、自分が何を感じ、何を思い、何を欲し、何を考え、何をやっているかを省みることがでできる。(自覚)
仕事も、勉強も、遊びも、どんな活動でも、やらなくてよいことを、自分の気持ち・考えまかせでやっているという「自覚」がベース。
それから、行為と欲求について・・・、
「やりたい」と思っても「やれない」ことも多いけど、行為に対しての欲求を見てみると、
「やりたいと思う」「やりたくない」「やりたいと思わない」 これくらいかなと思う。
自分個人の行為に対しての欲求はこれだけのことだけど、
人間の特色として、他の人の行為に対して欲求を抱く・・・、
それも、「やって欲しい」「やって欲しくない」(やめて欲しい) これくらいかなと思う。
なぜ、イチイチこんなことを書くのか?と思うかな。人間の行為に対する欲求って、つまり・・・、
 ※ 「やりたい」 「やりたくない」
 ※ 「やって欲しい」 「やって欲しくない」

どの人の行為も欲求も同格で、「やる・やらない」は、その人自身のこと。
そこから、誰もがより良く暮らしていきたい、暮らしていけるようにしようとするもの。
この「自覚」があれば、「やる必要がある」「やった方がいい」「やりなさい」「やめなさい」などで、自分を縛ったり、人に立ち入ったりしないだろうにね。
こういうものを持ってきて、縛り合わないと人や社会は良くならないと思っている?
こういうものを持ってきて、縛り合うから人や社会が狂ってくる。
人 間 観 | - | -