要求が充たされる

案外、見落とされ易いけど、「人間ならでは」の性質として、
共感する機能】や【通い合おうとする作用】などがあると思う。
【共感する機能】
欲しいとか痛い・嬉しい・悲しいなど、相手の欲求や感情を感じる機能。
他の動物は相手の気持ちを感じ取るということは、ほぼ無いらしい。(ナントナク フシギー???)
【通い合おうとする作用】
相手に自分の意志や感情や欲求を伝えようとする。(共感できることを知っているからだろう) それと、相手の方のことを知ろうとする。(だから、言葉が発達したのかもしれない)
他の動物同士もコミュニケーションはあるらしいけど、主に情報伝達という機能らしく、気持ちや感情のやりとりなんて無いような気がします。

※更に、「これこそ人間ならでは」と思う性質として、
【して欲しい・やってもらいたい】と、人に求める作用(要求)があるでしょう。
  (要求といっても、主張を強要する要求とは違うヨ。)
自分ができない事だけでなく、自分ができる事でも、「して欲しい・やってもらいたい」と思うことがたくさんありますね。(あれとって~! これやって~!)
人は、自分の気持ちを相手に伝えて、それを受けて応えてもらうことで、充たされる・・・。
但し、物や事柄が得られさえすれば、それで満たされる場合は、「欲求」の部類かと思います。
その「欲求」を、他の人を介して充たしたいと思うのが「要求」なのかな・・・。
いずれにしても、こんなことをするのは「人間ならでは」という感じがして、とても興味深いです。他の動物も、群れで生活していますが、自分にできることを自分がやって暮らしているのでしょう。もちろん、やって欲しいと相手に意志表示することもないし、それに応えてやってあげるということもないようです。

【して欲しい・やってもらいたい】という気持ちがあっても、それを誰にでも求める訳ではないでしょう。(誰でもいい場合も、広い意味での要求と言えるかも・・・)
やはり、身近な存在・親しい人・自分を分かってくれる相手に対して求めるでしょう。
今の社会では、お金を出せばやってもらえることが多く、やって欲しいやってあげるという気持ちのやりとりがなくても、違和感なく暮らしているのかもしれませんね。
【して欲しい・やってもらいたい】と、求めることができる近しい人が、どれくらいいますか。
家庭内では、そういうやりとりばかりでしょう。
職場は? 会社は? 組織は? 自分のいる社会は? 気持ちのままに求めることができますか。

【甘えられる】(甘えることができる)人や社会
「甘える」のはよくないという常識や、「・・・に甘える」なんてとんでもないという人も多いでしょう。
でも、良い悪いの問題ではなく、人と人は生きている限り、通い合おうとするのだから、「して欲しい・やってもらいたい」と、甘える 気持ちが、誰にも当然あるでしょう。
おとなでも、子どもでも、自分に甘えてくる人のことを考えてみましょう。
その人にとって自分は、甘えられる存在であり、馴れ親しめる対象だからでしょう。
子どもにとって、甘えられる人の存在は不可欠ですね。
おとなになっても、甘えられる人、甘えられる家族、甘えられる職場・会社・組織というものが、あるか、ないか。 それが、人の心が充たされるとても大きな要素だと思うのです。
「抱っこしてー」「おんぶしてー」・・・ ロボットや機械がやっても充たされないのです。
おとなでもそうでしょう。「して欲しい・やってもらいたい」に対して、事務的・機械的に物や事柄をしてもらっても、それだけでは「して欲しい・やってもらいたい」は、充たされないのです。
♪♪ チューリップのアップリケ ついたスカート持って来て。
♪♪ お父ちゃんも時々 買うてくれはるけど、
♪♪ うちやっぱり お母ちゃんに買うてほしい。
やって欲しいやってあげるだけでいいのに、今の社会では・・・、
規則や金や契約をデッチあげて、権利・義務・責任などで、束縛・強制し合っていますね。
「共感する機能」「通い合おうとする作用」が具わっている人間同士なんだから、元々は、
そのままのお互いで、うまくいかないはずがないですよね。

人間本来のものを発揮し合って、人間らしく生きるには・・・、いつでも、なんでも、
「して欲しい・やってもらいたい」と「甘えられる」人間関係や社会環境が不可欠です。

(これだけの表現では、全然伝わらないよね~)
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