しゃかい ことはじめ 3

「縛らない・押し付けない」という言葉だけ聞くと、安易に受け取られそうな気がするので・・・、今の社会通念だと、どうなるか、ということを少し具体的に言うと・・・、
  医者が、ある患者を診察したくない。
  警察が、ある事件を捜査したくない。
  消防が、お宅の火事には出動したくない。
  教師が、あなたの子どもには勉強を教えたくない。
  雇い主が、あなたには給料を払いたくない。
  宅配業者が、あなたの荷物は配送したくない。
・・・などと言うと、「ヒドイ!無責任ダ、不公平ダ、差別ダ」とか言って、抗議したり訴えたりしますね。これは、会社や団体、社会という相手に対して、縛ろう押し付けようとする訳だから、相手の自由意志を認めないということですよね。
縛り押し付けの社会では、「縛り押し付けようとする人間」を養成しているとも言える。
上に挙げた例が、決して良い状態とは言わないけど、間違いや迷惑があると、常識やモラル、法律など掲げて、強制しようとするねぇ。
    (そこには自由意志という言葉なんて通用しない)
権利を主張したり、義務や責任を課すのは、縛り押し付けでしかないと思うけど、そういう自覚のないのが殆どだねぇ。
    (どこか?で「当然のこと」になってるから、自分が相手に強いてる自覚がない)
そんなのまで自由意志だと言って認めていたら、社会がメチャクチャになってしまう」と言う人がいます。
イヤイヤでもやらなければならない社会で、イヤイヤでもやる人を作っているね。
これこそ、メチャクチャな社会になってる原因だと思うけど・・・。
縛り押し付けないと、「社会がメチャクチャになる」と・・・、
縛り押し付ければ、「社会がメチャクチャにならない?」 そんなアホなぁ~!!
縛り押し付けの要らない社会というものを知らないだけじゃん。

ずっと前に「社会の自由」と題して書いてることなんだけど、
「オイラの自由を認めないのなら、オマエの自由を認めないぞ!」みたいな・・・、
要するに、「人の自由を認めない社会で、社会の自由を認めない人を養成してる」と、そういう悪循環でしょうね。
この「縛らない・押し付けない」という課題、要は、縛り押し付けなければいいだけなのに、なぜ、わざわざ、縛るん?押し付けるん?。縛り合いたくない、押し付け合いたくないのに。とにかく、今の人間の頭に、しつこくはびこってる病巣です。
次へ行きたいんだけど、その前に、もう少し続けます。ボクもしつこいな・・・。
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