幸福な人生 快適な社会 2

 人間的要素でいうと、人間は心身ともに正常健康でありたいと思う。人は生まれた時は心身ともに健全である。時には肉体や知能に障害を持って生まれる人もあるが、こういうことは近い将来、なくすることができるだろう。少なくとも心の面、精神面が生まれたときから不健全という人はいない筈である。
生まれてから死ぬまで、心身ともに健全な状態で、人生を全うするのが、理想だと思う。
 病気なし、病身なし、怒りなし、疑いなし、憎しみなし、苦しみなし、優越感なし、劣等感なし、などなど・・・。こう言うと、異論を唱える人もいるだろう。そんな、悟りを開いた仏様のような人にはなれないとか、怒りや疑いなどは人間にはつきものだし、そういうものがあるから進歩向上するのだという人もいるだろう。
私が思う人間的要素の理想は、決して聖人君子のような人間像ではなく、世界中が平和で幸福な世の中になったときの、ごく普通で正常健康な人間の姿である。
正常健康な人間同士には、上とか下とかがないから、命令や服従がなく、もちろん差別もない。善悪観で人が人を裁くということがない。規則や法律や道徳観で人が人を縛るということがない。同じ価値観や考え方を人が人に押し付けるということもない。
 親愛の情みなぎり、互いを尊重し、仲良く助け合い協力し合う、和気あいあい、ほのぼのとした、温かい気風に満ち溢れる。
生まれて間もない乳児の顔を見て、嫌な気分になる人は殆どいないと思うが、幼い子供の表情やしぐさが人の心を和ませてくれるのは何故だろう。子供のころは純真であどけないものだが、大人になるにつれて、純粋さや素直さが失われてくるのは何故だろう。人間とはそういうものだと、思っている人も多いだろう。だがしかし、周囲社会の影響で純粋さや素直さが失われるとも言えるだろう。だから、大人になったら純粋さや素直さだけでは今の社会では通用しないということにもなる。
ここで述べた正常健康とは、特別な立派な人を指すのではなく、ある意味では幼い子供のように、純粋で素直な人ともいえる。だれもが純粋で素直な人から出発しているのだから、人は正常健康になるために何かを足したり加えたりする必要はなく、余分なものを取り除けば、元々の純粋で素直で正常健康な人になると思う。
それが私の人間観である。
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