幸福な人生 快適な社会 1

 人は個々それぞれに自分の幸福、あるいは家族の幸福、もっと広い範囲の多くの人の幸福を願い、飢餓や貧困、争いのない平和な世界を願っている人が殆どだと思う。
 この願いを実現するためには、どうすればいいか、ということになると思うが、それを考えるときに、今日の世界情勢や社会環境や人間関係など、その中での幸福や平和ということならば、それには限界があると思う。なぜならば、今日の世界情勢や、社会環境や、人間関係などには、幸福や平和に逆行していることが随分多いと思うからである。
 しかし、人によっては、今日の状況の中で幸福や平和を考えなければ、それは空想的な抽象論にすぎない、という意見を持っている人もあるだろう。だが、ある意味では今日の状況を前提にして考える幸福や平和では、その域を出ないもの。つまり、その程度の幸福や平和にすぎないということも言えると思う。
世界中のすべての人が幸福で、世界中のどこにも争いのない平和な世界。こういうものを理想論だ、空想論だ、現実的でない、と片付けないで、このような幸福や平和が、本当に実現不可能なものかどうか、と考えてみたい。
幸福や平和を願っていながらも、それが実現されているとは言えない今日までの人間世界の実情から、今一度、人間と社会のあり方、その実現方法について、根本的に見直したい。

 幸福・平和・繁栄。物質的にも豊かで、安定した快適な社会、というものを実現する要素は、数多くあると思うが、ここでは一応の分類として、人間の持つ意識や考え方や心の持ち方や言動などの人間的要素と、物や環境などの物質的要素と、制度機構などを設けてそれを運用する社会的要素とに分類し、分かり易く、人と物と社会、という表現にする。
 幸福・平和などの言葉を用いたが、殆どの人がこれを願い、望んでいるとしても、これらの言葉の中身となると、一人一人大きな違いもあるだろう。平和を願っている者同士が争い合ったり、幸福になろうとして他の人が不幸になることもあるから、幸福とは何か、平和とは何か、すべての人が平和に幸福に暮らすのは不可能なのか、よくよく検討する必要がある。

 私は、私なりの表現で「幸福な人生と快適な社会」を理想としている。
以下に、「幸福な人生と快適な社会」の要素を人と物と社会という側面から述べてみたい。
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