研究所サロンに参加して Ⅰ

 「人は『知る』存在」という話があった。話を聞いた自分の印象を、自分の主観で表現すると、産まれたときには何も知らない。成長する過程はいろいろなことを知る過程と言える。生きるすべを知る、生活の仕方を知るといったらいいだろうか、そう考えると、人は知ることで成り立っていると言えるなと思った。

 孫のことが頭に浮かんだ。孫は生後二ヶ月もたたない。何も知らないで産まれてきたばかり、まだほとんど何も知ることのない存在が身近にいると思って、そういう観点で孫を観ると何か面白そうだなと思った。

 そのあと、人は「知り得ない」存在という話もあった。

 研究所サロンの最後の感想で、誰か(2人ぐらい)が出した「自分自身の<知らない>という状態の自覚」(これも、その人がこんな表現したかどうか覚束ないが・・)というような話が何か印象に残った。

 今少し前にどういうわけか「アレッ?」と思った。佐藤さんが「人は『知る』存在」と言うのを聞いて、なるほどと思って、孫のことを思い浮かべていたときの自分は、人はそういう存在(「知る」存在)だと知ったつもりになっていた自分ではないか?・・自分は「知っている人」になっていたのではないか?・・

 人は「知る」存在であり、また「知り得ない」存在である、ということを、孫のことよりも、先ずは自分に即して調べてみなければ、と思った。
「知る」とは | - | -