自分を知るための内観コース Ⅴ

・内観法体験(自分を検べる体験)における三つのポイント

1.母のことを検べるのではなく、自分に目を向けて、自分を検べる

2.分けて見る(焦点を絞る)、たとえば<母に対する自分>に焦点を絞る(当てる) 

3.<母に対する自分>を、三つの観点(テーマ)に分けて、また年代ごとに分けて、具体的な事実を、一つ一つ検べる

 このようにポイントになると思われる点を挙げてみると、内容的には、最初に書いた内観法の説明の繰り返しのような感じもするが、内観法の中には、やはり分けて見る、分けて検べるという要素(契機)が仕組まれていて、それが内観法の体験の中では大きく作用しているように思われる。検べるということが、それによって実現されると言ってもよいのではないか。内観者が内観に集中している時、内観者の頭(知能)の働きが、自ずと、一つ一つ分けてそのもの(そのまま)を見ようとする、一つ一つ分けてそのもの(そのまま)を検べようとする、そういう働きになっている、と言ったら言い過ぎだろうか。

 また、この分けてそのもの(そのまま)を見ようとする、分けてそのもの(そのまま)を検べようとする、という態度(姿勢)が、内観法の体験(自分を検べる体験)を通して培われ、繋がっていくと思われる。

・補足について
 補足においては内観法体験における注意点をあげた。またそれが内観法の補足説明にもなるかと思う。

・補足 Ⅰ
 最初、①してもらったこと(世話になったこと)②して返したこと(してあげたこと③迷惑かけたこと、という三つの観点(テーマ)にすんなりと入っていけない人がいる。世話になるってどういうことなのか、とか、迷惑かけるとはどういうことか、とか、考えてしまう。それはそれで、そういうテーマもあるかと思うし、また何故この三つの観点が採用されているのか、そういうことも究明されていく余地はあると思う。

 しかし内観法を体験してみようとする場合、この三つの観点については、最初はまず、ごく常識的な意味で受け取ったらいいのではないか。例えば、①母に世話になったことは小遣いもらったこと、②してあげたことは買いものに行ったこと、③迷惑かけたことは毎日おねしょしていたこと、とかいうように。内観法は小学生でも体験できる。小学生の場合三つの観点でそういう具体的なことを一つ一つ見つめるだけで、両親から受けている世話(愛?)に気づく、そういうケースも多いようだ。

 自分を見る検べるといっても、いろいろな面があり、自分の行為態度気持感情思い考えというように、いろいろある。自分のした行為を見ていたら、自ずと、その時の自分の態度気持に目が向き、さらに見方考えかたに目が向くといった方向性はあるようだ。自分を検べているうちに、自分のその時の心(の状態)がくっきりと見えてくることがある。同時に自分に対しての母の心も感じられてくる。子供の場合でも、思いとか考えとか意識化される部分は当然少ないにしても、この三つの観点で自分を見ようとすることで、自分の心にも、そしてまた母の心にも目が向くのではないか。

 検べる時、最初は、自分が母に世話になったと思われる事柄をいくつかあげてみても、世話になったという実感はあまり湧いてこない。しかしその事柄(場面)を一つ一つ見ようとする中で、事柄でないものに目が向く瞬間があるようだ。どういう作用かよく分からないが、やはり自分を検べようとする、その人の意欲が元にあってのことなのだろうと思う。自分を検べようとする意欲、姿勢があれば、誰でも自分の心に行き着く。そしてまた、母の心の存在が、感じられてくる。そんな方向性があるようだ。
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