解放の中身

研修生の人達と、職場解放区について、一週間探ってきた感じがある。
その中から、今日は一つメモ。

自覚のない状態は、「その事がそう」となっている状態。
つまり、自分自身の捉え方なのに、そこの自覚がなく、「事実はこう」と、決めている状態ということだろう。

つまり、自分の捉え方に縛られている状態。
自縄自縛というが、自分が捉えたことが動かせないものとなってしまって、その後の行動を考える際も、そこからしか考えれなくなる。
そういう捉え方為す行為は、すべて束縛区の方向へと繋がっていってしまう。

例えば、ある出来事を、「これは、エライこっちゃ」と捉えると、そこからいくら良い方向へとやろうとしても、問題視からの出発は、問題視の解決策にしかならない。
問題だ、という捉え方は動かせない、固定している訳だ。
そこから自らが解放されてこそ、自由に発想できるのだろう。
解放される=自覚が生まれる、ということだろう。
エライことが起っているわけではない。そう捉えている自覚。

エライ→ 何とかしなければ → 焦る → やらなければ・・・という循環。
そこからの解放があってこそ。

出発点の問題。
そこに光を当てられる人がいてこそ、解放区実現の道が開けてくるのだろう。
自覚の有無。
自分自身の解放から。
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