束縛区、解放区

ある職場でのこと。

打合せで
「この場所は、資料を閲覧場所として使おう」
となった。

Aさん場合は、「ここは資料を閲覧する場所だ」となってしまう。
だから、それ以外のことは認められなくなる、許せなくなる。
そうすると、そこに物を置いたりする人を見ると、「まったく!」「何で、こんな所に、こんな物を置くの!」と、人を責めるような、邪魔な物が置かれているような反応が起きてくる。
職場にそういう空気が流れていく。
そしてまた、Aさんが、それを徹底しようとして、次の打合せで、「あそこは、資料を閲覧する場所として決まったでしょ。みんな守って下さい」と強く言う。
そうすると、「そこは、資料を閲覧する以外には使ってはいけない」という空気が流れる。(そういう観方の人が増える)
そうしない人に対する視線がますます厳しくなる・・・。
束縛区が、こうして出来上がっていく。
みんなで話し合い、一致点がでるほど、窮屈になってくる。

Bさんの場合は、「資料を閲覧する場所として使っていこう」というのが、自分の中のこととして自覚されている。
その場所は、その場所としてある。
物を置く人は、その人の感覚で置いている。
物は物としてある。
閲覧する場所としてつかいたいけど、どうか?という視点で考えれる。
いつでも見直せる、考え直せる。
みんなで話し合って、一応こうしようとなったことも、それも、各自の中にそれがあるだけ。(その捉え方も一様ではないのだが・・・)

どちらの方向に行くか?
出発点で決まるようだ。
自覚のある人、ない人・・・。
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