内観の体験の中から Ⅴ

 最近妻とのやり取りの中で自分の心が少しざわつく感じがあった。そのことを振り返っていて、ふと自分は結構妻の思いや言ったことに反応しているなと思った。そして内観での体験も思い出した。内観では妻が自分にしてくれたこと、その具体的な事実を調べた。今でも食事を作ったり洗濯したりといろいろ自分にしてくれている。でもそれは自分にとってあたりまえのことになってしまっていて、たまに妻が愚痴?をこぼすと自分はそれに反応して嫌な気持になったりする。具体的な事実を見ようとせずに、妻の思いとか言ったことを気にして反応する。妻の思いと言っても妻はこう思っているのだろうという当の自分の受け取り方(自分の思い)にすぎないし、妻が言ったことと言ってもそれも自分の感覚で受け取ったものということだが。

 事実の世界と自分の思いは別なのだと、自分は最近考える(思う?)ことも多くなってきていたが、自分の実際は人の思いで世界(世の中)は動くものという見方を相変わらずしていたのではないか。そこがあるから自分の思いを大事にしたり人の思いが気になったりしたのではないか。自分の思いを無性に伝えたくなったり、人の思いを聞くと喜んでみたりひっかかってみたりと思いの世界で目まぐるしく動く。

 世界(世の中)は人の思い(表層の意識)で動いているのではない。人の考え方で動いて行くと言えないこともないが、本当は人の心底にあるもので動いて行くのではないか。内観の体験の中で人の心に包まれている感覚が自分の中に少しだけ芽生えてきたようだ。
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